家継の母は六代将軍家宣の愛妾・お喜世(月光院)の方
もう1人の愛妾であるお須免の方の息子・大五郎が死んでしまったことにより、お喜世の方が出産した鍋松が次期将軍に決定していました
そして家宣が風邪をこじらせ、51歳で死去
家宣は間部詮房と新井白石を呼び「次期将軍は尾張の吉通にするようにしてくれ」と遺言
そのまま息を引き取りました。
が、白石は「吉通を将軍に迎えると尾張の家臣と将軍家の家臣の間で権力争いが起きる。だったら鍋松殿を将軍とし我らが後見人となり補佐した方がいいのではないか?」と意見
この意見に間鍋詮房も同意し「そうだ!我らが補佐すれば大丈夫であろう。もし鍋松殿にもしものことがあったらその時は御三家から迎えればいい」と言ったのです
そうして家宣の遺言は無視され、鍋松が次期将軍になることとなりました
ですが徳川家に代々仕えてきた譜代の家臣らは、元猿楽師である間部や儒学者である白石がエバリくさっているのがムカついて仕方がありませんでした
こうして幼い飾り物の将軍が誕生したのです
家継が7歳の時に、天皇家の皇女(2歳)と婚約
が、家継はふとした風邪がもとで、8歳でこの世を去ったのです
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